M&Aによる編集について

〜ラスト・コンサートへの序奏?54.3.21の「悲愴」での演奏の瑕〜

1954年、トスカニーニ引退の年。
NBC響を指揮したコンサートのうち最後の2回について、
RCAによるステレオ音源が残っていることは知られていました。

ラスト・コンサートの4月4日のものについては、LP時代(1985年)に日本コロムビアが
その前日の衝撃的なリハーサルの音を併録し発売し、後にCDでもM&A他内外数社から発売されました。

しかしもう一つの音源である3月21日のものについては、なかなか公にはされないままでした。
これは第3楽章の終結部に欠落があったことが大きな理由ではないかと思います。
一部に流れていましたこの音源、欠落部分で段違いに音質の異なるものとなっています。
M&A盤のリマスターを行い、解説にも原稿を書いているAaron Z. Snyder氏によれば、
この部分はRCAとNBCがリハーサルのテープからとった擬似ステレオとのことですが、
私の手許にあるものは右チャンネルはほとんどつぶれていてあまり出来のよいものではありません。

今回、その欠落を本番のモノラルの別音源を使って修復してCD化する試みがふたつのレーベルで行われました。

ひとつが4月4日のステレオ音源を早くにCD化していたM&A(CD-1194=下左)。
もう一つはイタリアのIstituto Discografico Italiano (IDIS 6500/01=下真ん中)です。
手許にあるモノラルのNuova Era盤(下右)が、それほど悪くはない音なことから予想されましたが、
モノラル部分の復元、音質の均一化は両者ともなかなかよくできていると思います。

むしろ今回気になったのは第1楽章提示部でのアンサンブルの乱れです。
この4日後の日付となる引退声明、続く最後のリハーサルとコンサートでの出来事を思うと、
悲劇への序章といったら言い過ぎでしょうが、なにか象徴的な出来事のように思われます。

  ↓ ここにその時なにが起ったか、趣味の悪い解析があります。

手許のスコアで練習記号B(M&A盤で2′54″IDIS盤で2′50″付近)の5小節、
その2拍目でクラリネットが1拍早く入っているのが耳に飛び込んできます。

確かにこの入りの違いはかなり目立ちますが、
スコアを見ながらよく聴きますと、実際にはその前のホルンが1拍早く吹いていることに気づきます。
それを思いますと、クラリネットはホルンに追従する形では正しい拍で入っていることになり、
M&A盤のSnyder氏の解説にある、
"Both clarinets and the oboe make their entrance one beat early and continue in their path..."
というのは必ずしも正しいとは言えないように思いますし、
実際にここで聴かれる音と氏の記述は一致しているとは言えません。
クラリネットとユニゾンとなるオーボエは遅れて「楽譜どおり」に吹いていますし、
吹き続けるのは第1クラリネットのみです。

その後弦楽器を中心にしばしオーケストラの混乱が続きます。
最終的に音楽が1拍抜けた形で収束するのは練習記号Cの2小節前の3拍目からとなります。
途中、チェロが(おそらくソロで)強引に1拍早く入って音楽を立て直そうとする様子が生々しく感じられます。
このチェロの音はおそらくフランク・ミラーだと思うのですが、
このことは次のラスト・コンサートで、「タンホイザー」でトスカニーニの指揮ぶりが怪しくなったとき、
彼が全体をリードしようとしたという証言を思い起こします。

M&A盤では、この部分で失われた拍をその前の部分から取ってきて埋めるという編集をしています。
おそらく直前の拍の音を挿入しているように思うのですが、
すでにホルンによって音楽のフォームは崩れていますので断定はできません。

Snyder氏は解説の中で、"I did take the initiative of adding in the missing beat,
taken from the previous phrase.(中略)the underlying orchestral scrambl now seems less jarring to me"と、
自画自賛しています。
しかし、1拍埋めたところでその後の弦楽器との、ずれは残ります。
これについて氏は"Since the clarinets and oboe dominate the listener's attention"といいますが、
先に述べましたが、吹いているのは第1クラリネットのみで、個人的にはけして "less jarring"とは感じません。

"Music and Arts"というレーベル名の通り、音楽の芸術性(整合性)を追求した姿勢なのかもしれませんが、
この録音については音楽の整合性にのみ関心を払っている聴き手ばかりではないと思います。
M&A社は以前、ブエノスアイレスの「第9」のフィナーレでは同様の手法で1拍多い編集ミスを犯していました。
もともと商品化を目指した録音ではないものをあえて商品化するわけですから、
このような歴史的な記録にここまでの細工が必要なのか、
慎重な検討と実践が望まれるように思いますし、個人的にはあまり賛成はできません。

参考にしたCD
米M&A CD−1194
伊Nuova Era 013.6322 (モノラル)
伊Istituto Discografico Italiano IDIS 6500/01

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