IPRMSの編集のこと
"ORIGINAL"とは?または英語って難しい・・・。

IPRMSのCD2セットが届いてひと月程になります。

先に聴いたのはNYPとのコンサートからの2枚組。
ゼルキンのUSデビュー・コンサートが良い音質でよみがえりました。

もう一組はNBC響との「フィデリオ」。
もともとオペラ・ファンではないですし、全曲聴くにはとっつきにくいオペラです。
第1幕前半はそこそこ聴くのですが、後半レオノーレのアリアの前半は念仏みたいですし、
吉田秀和氏など玄人の聴き手の方々が絶賛する第2幕冒頭なんて憂鬱そのものです。
音は流していましたが既出のCDとあわせて聴こうという根性はなかなか出てきませんでした。

"As the climax of this nine weeks festival devoted music of Ludwig von Beethoven, ..."
Ben Grauer氏のアナウンスで始まる雰囲気はなかなかいいものです。
ただこのアナウンス、各幕演奏の前後に1分少々と、
オン・エアされたものにしてはちょっと短めに思われます。

音の状態はBMG盤に比べれば最善とはいえませんが、
この手のヒストリカル系としては総じてバランスのよい音質だと思います。

全曲に亘って、音楽とセリフが長い間を取らずに流れよく進むのが特徴です。

しかしこの時の演奏はもともとセリフなしで演奏されたはず、
アリアの前に一言二言ある程度だろうと思っていたのですが、かなり長いものになっています。
BMG盤と比べながらよく聴いてみますとセリフの前後や最中で音質やノイズのレベルが微妙に変わっていまして、
IPRMS盤はかなり細かく編集が行われている可能性を感じさせます。

たとえば第1幕が始まって最初のセリフはマルツェリーネとヤキーノの二重唱の直後、
音楽の余韻が消えないうちにロッコが「ヤキーノ!」と呼ぶのが聴こえて約40秒のセリフとなります。
この部分BMG盤では二重唱の音が消えた直後にはやや大きな足音が聴こえまして続いてマルツェリーネのアリアが始まりますが、
IPRMS盤からはこの足音は聴こえてこないのです。
アリアが終わって続く三重唱の前、BMG盤では一息ほどの長さで会場のノイズが入っている間があるのですが、
IPRMS盤ではこの間は感じられません。

そこでこのセリフはいったいどのように復元されたのかということを調べてみました。
実は添付の解説ではこの点について、その由来について明確な表記がありませんが、
コメントの端々から判断するに、このセリフ部分は1944年12月にStudio 8Hで演じられたものではなく、
複数の上演から音楽部分と違和感が少ないようなものを探して折り込んだということのようです。

"Finally, I decided to bring back to the performance its missing proportion..."
"The first problem was finding a recording that offered the dialogue
 with voices that could be made to match some, if not all, of the singers in the Toscanini production."

この点についてIPRMSに直接問い合わせたところ、Richard Caniell氏の名前で、
第2幕のメロドラマ以外の部分は加えられたものであること、
ブックレット以上の詳細については答えられない旨の返答をもらいました。

今回IPRMSの「売り」はブックレット表紙にあるように、
"THE ORIGINAL BROADCAST"
"includes the previously ommited dialouge, broadcast commentary and ovations"
ということでして、私はこの文句に釣られて入手しました。
しかしこの売り文句の意味は、私の期待していたものとは違うようなのです。

私は"previously"という単語を勝手に単に「以前に」という様に解していたのですが、
辞書によれば、「以前に(は)、前もって」と記されていまして、今回はまさしく後者の「前もって」の意味なのでしょう。
さらに辞書を繰れば、"original"には「独創的な、創意に富む」とか「奇抜な、新奇な」という意味が記されています。
思えば「オリジナル」という単語は状況により二つの意味で日常使われています。
迂闊でした。

私の期待していた"THE ORIGINAL BROADCAST"というのが、
「以前には収録されていなかったセリフとアナウンス、拍手を含む当時の放送の原型」ならば、
IPRMSの考えは、
「もともと省かれていたセリフと、放送時のアナウンスと拍手を入れて、独自に再構成した放送番組」というところでしょうか。
Richard Caniell演出による「フィデリオ」といってもよいかもしれません。

なおこの手法は今回初めて聴くことができたコンサート当日のレオノーレのアリアにも及んでいます。
ブックレットによれば、アリアの最後でバンプトンの歌唱が万全ではなかったようでして、
この部分も差し替えを行っているとということです(このアリアについては別に述べたいと思います)。
My solution was to keep the broadcast performance 
and replace only the poorly sung note before the concluding phrase. 
Thus, the original Abscheulicher is heard here for the first time on disc. 

結局このCDは、1944年12月にNBCがオン・エアした「トスカニーニ指揮によるフィデリオ」の放送を復元したというよりは、
1940年代のアメリカでの「ベートーヴェン作曲のフィデリオ」のラジオ放送の様子を再現したという色合いが強いということになります。
解説にはこの再構成によってベートーヴェンが想定した作品の構成を回復できたというようなことが述べられています。
"Essentially then, the benefit of such a re-creation 
would be to restore the necessary rest places between musical passages, 
to introduce the textual-dramatic continuity 
and re-shape the performance to the proportion envisioned by Beethoven 
which had been thus far defeated by deplorably inflexible broadcast schedule timings."

このことは、同時にリリースされたNYPとのコンサートの盤にも伺える姿勢なのです。
前半のGMのコンサートでは、トスカニーニが登場していないジャンニーニのピアノ伴奏のソロ2曲が省略されています。
その理由は時間的なものとされています。
後半のゼルキンのUSデビューの録音は私家録音のため、途中で盤の交換のための欠落が生じていますが、
IPRMSはこの欠落を同じトスカニーニとゼルキンの演奏による別の録音で埋めています。
ベートーヴェンの交響曲では1938年のBBC響、協奏曲では1944年のNBC響とのものを使っています。
同じコンビによる録音のないモーツァルトではゼルキンの別(おそらく1955年)の録音を使っています。
Bookletではこの部分でこのように解説によれば、
"Because the album is focused on the Serkin American debut
 and the interpolated passage is mostly Serkin playing solo,
I have let Serkin's performance largely dictate the interpolations for the Mozart."
としていまして、ゼルキンの演奏を聴かせる事に多くをおいているようなスタンスを示しています。

今回の二つのリリースは音楽的には100%純正な"Complete Concert "であっても、
トスカニーニ指揮の演奏会の録音を伝えるという点では100%純正なものではないということになります。
私がヒストリカル・レーベルに期待する"Original"とはIPRMSのそれとは志向が違うようです。

以前もM&Aの編集の方法でも思ったことですが、音楽を聴くことは一番大切ではありますが、
ならば、このような録音をにたいしてそのような思考を最優先するのはいかがなものか?と思います。

形は違いますが、トスカニーニのフランクの交響曲では1940年と1946年の録音を楽章単位ですが組み合わせています。
これには演奏家自身、あるいはそれにきわめて近しい方の意思が働いていたと記憶します。

このレーベルではかつての名歌手たちのメトとコヴェント・ガーデンでの録音をつぎはぎして、
"Dream Ring"と銘打ったワーグナーの「ニーベルングの指輪」全曲のCDを出しています。
これこれで面白いとは思いますが、一人の演奏家の演奏をテーマにした場合には同じ手法は不適当ではないでしょうか?

このような編集の手法に手間がかかるのでしょうか?
IPRMSは財政難らしく現在カンパを募集中のようです。

"At the present time, after the release of our eight debut albums under our
own label, we are seeking funds to release sequentially some 40 important
performances on which we have worked for the past 4 years. If you
are interested in making a contribution...(略)"

で、もちろん私は応援しません。

ここで聴いたCD
ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」
加IPRMS IPCD1007−2
米BMG 09026−60273−2
日BMG BVCC−9706−07

TOSCANINI PHILHARMONIC-SYMPHONY OF NEW YORK
加IPRMS IPCD1002−2

参考にした資料
上記IPRMS、BMGのCDの解説書
IPRMSの「フィデリオ」については一部がそのHPで公開されました
Recording Notes for Toscanini Fidelio 1944
"Arturo Toscanini THE NBC YEARS "(M.Frank 2002)
"The MAESTRO" Volumes 4 and 5"(米トスカニーニ協会 1973)

2009.11.13
Massa-

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