「第9」終盤の歌詞改変に関するメモ書き

トスカニーニの「第9」を聴いていますと、他の演奏ではあまり聴いたことのない音符が聴こえてきます。
「聴いたことがない」=つまるところ楽譜にはない「書き加えられた」音符です。

たくさんの方がいろいろな形で取り上げていますし、機会があれば私も取り上げてきました。

今回は音符ではなく、先日憲坊法師さんのBlogで話題になりました歌詞の扱いについて調べました。

問題の箇所は767小節〜、この部分につきましてはトスカニーニの演奏だけでなく、
すべての「第9」演奏において、チェックされるべきポイントのひとつといえます。

長年広く普及していました?ブライトコップフ社等の楽譜ですと、
このようになります。
  766小節〜

  777小節〜

ところが、自筆スコアや1826年のショット社の初版の楽譜では、
歌いだしの767小節の歌詞が"Tochter,"となります。
最新のベーレンライターの楽譜もこれによっています。

  自筆スコア 766小節〜 (読みにくいのですが、ソプラノパートの書き始めだけ字面が違っています)

  ショット社の初版 763小節〜

音楽の表面的な面、歌詞の統一性、美しさを考慮したと思われる慣行(ブライトコップフ?)版の扱いが、
作曲家の(あるいは彼に近い)手による資料と異なっていることに問題を感じますが、
現場=実際の演奏では、すべてのパターンをFreude, Tochter aus Elysiumとする場合も少なくなかったようです。
私もそうですが、多くの方がそのように記憶されているのでは?と思います。
それほど"Freude!"という歌いだしの語感が素晴らしいということなのでしょう。

しかし私自身、もしかすると全部"Tochter"が作曲家の意思だったかもという思いもあります。
自筆稿ではこの後の777小節以降の4回は確かに"Tochter"に読めまして、
769小節の"Freude"が逆に浮いて見えてきて、書き損じではなかったかと思われるのです。

自筆スコア 777小節〜
   

 

トスカニーニがこの部分をどのように歌わせたかとなりますと、下記の通りです。

演奏年月日 オケ 参考音源 767小節 769小節 777小節 779小節 メモ
1936/03/08 NYP DANTE LYS 581 Freude Freude Freude Freude 今回の「火種」となった演奏です
1937/11/03 BBC M&A CD-1144 Freude Freude Freude Freude 英語歌唱、"Joy thou daughter of Elysium"
1938/02/06 NBC DANTE LYS 408 Freude Freude Freude Freude NBCとの最初の第九、
1939/12/02 NBC NAXOS 8.110824 Freude Freude Tochter Tochter 硬質な音楽に不得手なファンもいるようです
1941/06/24 TCO M&A CD-1119 Freude Freude Freude Freude ブエノスアイレスのテアトロ・コロンでのライブ
1946/06/24 LSO M&A CD-1027 Freude Freude Tochter Tochter スカラ座でのライブ、イタリア語歌唱
1948/04/03 NBC Lip from ATSLP Freude Freude Tochter Tochter TV中継、779小節はやや聴き取りにくいが・・・
1953/03/29 NBC Private Recording? Freude Freude Freude Freude 冒頭に大波乱がある演奏
1953/04/01 NBC BMGJ BVCC-9917 Freude Freude Freude Freude お馴染みのスタジオ録音、XRCDで音質向上とか・・・
慣行(ブライトコップフ)版の歌詞 Freude Freude Tochter Tochter  
自筆稿、ショット社初版、ベーレンライター版 Tochter Freude Tochter Tochter  

以上です。イタリア語については私の耳での語感からの想像です。

ドイツ語以外の演奏を除き、1953年の例を一つとすると、「オール・フロイデ」と慣行版とのスコアは4対2。
さらにNBC響との演奏にしぼりますと、2対2となりますが、
時期的なことを考えわせますと、トスカニーニの最終的な意図がどちらにあったか定かにはなりません。

そこで今回気になったことなのですが、テレビ中継された1948年の独唱者ですが、
テノールが当初予定されたWilliam HorneからIrwin Dillonに変更になりました。
そのDillonですが、777小節で女声陣が"Tochter,"と入ったのに対して、
779小節の入りを"Freude"と歌っているように聴こえます。
さらによく聴いていますと、隣との歌詞の違いに気づいたのでしょうか、
バリトンのNormann Scottの声が一瞬弱まったように聴こえます。
このあたり、急遽の独唱者変更だったのかもしれませんが、
うるさい指揮者なら、歌詞の確認があってもよかったでしょう。

この後の終結部では、トスカニーニは長らく独自の歌詞の改変を行っています。
  終結部の歌詞改変について http://blog.livedoor.jp/massa_3/archives/5026983.html
この改変、ロバート・ショーを合唱指揮に迎えた1948年以降2回の演奏では、楽譜どおりの歌詞に戻されています。

新たな指揮者を迎え、歌詞をスコア通りに歌わせた合唱。
歌手の変更に、混乱があった?独唱。
トスカニーニの歌詞の扱いは意外と歌い手まかせだったのかもしれません。

最初に書きましたように、他の演奏をチェックするべきでしょうが、今回は一切聴いておりません。
今回はトスカニーニはなにをしたのか、メモ書きとしておきます。(2008/06/20)

参考にしましたCD以外の文献など・・・
「こだわり派のための名曲徹底分析 ベートーヴェンの第9」 金子建志(1996)
「こだわり派のための名曲徹底分析 交響曲の名曲1」 金子建志(1997)
「第9交響曲の楽譜とベーレンライター版が提起する問題」藤本一子(2003)
  無断リンクご容赦! http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/hujimoto03.pdf
"Beethoven Digital" ベルリン国立図書館ホームページ
  無断リンクご容赦! http://beethoven.staatsbibliothek-berlin.de/
「別冊太陽 ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付」」藤田由之監修(1986)
「NHK趣味講座 第九をうたおう」別冊楽譜(1986)
"Free Sheetmusic Library" 無料でスコアなどの閲覧、DLができます。
  無断リンクご容赦! http://www.bh2000.net/score/

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